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「竹五」
往年の名優、坂東妻三郎さんがお好きだった部屋です。坂東さんが初めてお泊りになったのは昭和2年秋、新婚旅行においでになった時です。
往年の大スターですから、ファンのお出迎えはまるで、天皇陛下がお通りになるような有様だったとは先代館主の思い出です。
部屋の額 天真爛漫 立雲 (頭山 満・とうやま みつる 書 明治大正昭和期に博多に玄洋 社を創り、金玉均などの亡命者をかくまう。)
床の間 竹の春すずめ千代経るお稽かな (巌谷小波 画賛 大正−昭和期の舌切り雀などの童話作家)
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「梅一」
この部屋は大正3年項に、幸田露伴先生がお泊まりになりました。(その後改装されています。)
また昭和24年ごろ、笑いで一世を風靡した漫談家の大辻司郎さんもこの部屋を好まれました。いつも笑顔を絶やさない優しい方でした。
部屋の窓から見えるもみじの新緑と秋の紅葉は屋内を染めるばかりです。4月下旬より6月中は河鹿の声も聴かれます。
部屋の額
たびにうれしい親切な宿
(大辻司郎 書)
床の額 岡本秋嘩 画
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「梅二」
床の間 当楼で描かれたもの (福井江亭 画)
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「桐一」
床の間 当楼に来泊された絵師の寄せ書きです
部屋の額 寫百童集(子供の笑顔 百を映す)
(大辻桃源 書)
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「桐二」
昭和25年ごろ、当時共産党委員で活躍されたタカクラ・テル氏が「箱根用水」を編纂されるために度々この部屋で執奪され ていました。ごくごく地味な方で、その辺のおじさん‥・という感じの方でした。
7月末から9月は中庭で百日紅(さるすべり)の大木が美しい花を咲かせます。
次の間 雲高く草遠くして万の牲 (巌谷小波 画賛・明治−昭和期の童話作家)
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「桐三」
この部屋では川端康成先生が執筆していらっしゃいました。川音が聞こえないこの部屋を好まれました。
先生は昼間はお寝みになられ、夜中にお仕事をなさいますので、お夜食のお茶漬けをいつもご用意しておりました。
そして朝になると、入り口の戸に挟んである原稿を雑誌社や新聞社の方が取りに来られました。 先生はお優しい方でしたが、大きな目でジロリとこちらを見られると身が縮む様でした。
部屋の額 塔の澤夜曲 (方南散史)
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「桐四」
部屋の額 芙 (大辻司郎 書)
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「桐六」
部屋の額 小庫清風 (大辻桃源 書)
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「桜一」
劇作家の北條秀司先生は小田原にお住まいの頃、この部屋で書き物をされたそうです。
窓の外を流れる早川の風物は、春は小鳥、6月は湯坂山の川岸に光る蛍、そして7月下旬より9月にかけては窓辺の百日紅(さるすべり)の大木が沢山の桃色の花を咲かせます。
部屋の額 山光澄楽心
次の間 西沢笛畝 画
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「桜二」
明治時代にはこの建物付近に洋館があり、大正天皇が御幼少の頃、養生のために逗留なされたと聞いております。
また、昭和天皇の従兄弟にあたられる賀陽様も戦後は御家族と共に滞在になられました。
「宮本武蔵」「私本太平記」で有名な吉川英治先生も、戦前は執筆に、戦後は御家族の皆様と御一緒に逗留されました。 里見簿先生はこの部屋で御親族とよく麻雀をなさいました。
部屋の額 百年如一日 立雲(頭山 満 書)
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「桜三」
シンガーソングーライターとして第1の成功者であり、「高原の宿」「真室川ブギ」など歌手としても昭和30年頃括躍された林伊佐緒さんは、この部犀がお気に入りで御家族で滞在なさいました。
7月下旬境より9月にかけて百日紅(さるすべのの
大木が目の前に美しい花を咲かせてくれます。
部屋の額 翠巒作蓋 渓聲作琴 (田山方南 書)
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「桜四」
この部屋の天井の竹は昔の田舎家にあったものです。竹というイメージで外人の方に喜ばれます。
窓外の栴檀(せんだん)の大木は5月末から6月頃に薄紫の可愛いい花を沢山つけます。
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「桜五」
和風、3階建ての部屋は今では珍しい建物となりました。当楼で一番見晴らしの良い部屋で目前の湯坂山の四季折々の風情が眺められます。
また、10月末境には木犀の花の香を風が運んでくれます。
部屋の額 山雲出岫
(田山方南 著 明治−昭和期の禅林墨蹟の研究家として、書も有名な方です 。)
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「桜六」
5月頃、3階のこの部屋から向いの揚坂山の緑の中に揺れる山藤がひときわ美しく眺められます。
また、6月頃には手が届きそうにすぐ目の前で窓辺の栴襢の大木がうす紫の可愛い花をつけ、11月末には山の木々か色づきます。
部犀の額 気霊神郎 (大僧正 書)
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「せきれい」
戦後の一時期、日本中を笑いの渦に巻き込んだ三遊亭歌笑さんは新婚旅行でお泊まりになって以来、度々お見えになりました。
玄関をお入りになる時からお帰りになるまで笑い笑いで館内中があかるくなったものです。
平福百穂(ひやくすい)画・
明治大正昭和期の日本画家
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「せせらぎ」
この部屋に御滞在になられた田山方南先生は禅林墨蹟を出版されるために、140日の長期滞在をなさいました。(当楼の一番長い滞在記録です)
作家の田村泰次郎先生もこの部屋を指定されました。
4月末頃から7月初旬まで川音にまじり、河鹿の鳴き声がよく聞かれます。
河鹿鳴処 (田山方南 書)
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「聴泉」(ちょうせん)
この建物は実業界で活躍された野崎廣太(幻庵)翁が設計されたものです。以前はこの茶室につづいて腰掛待合とあずま家もありました。
また、この部屋は、大佛次郎先生がもっとも愛された部屋です。大佛先生は昭和22年頃から「帰郷」「宗方姉妹」の小説、また、芝居の脚本など数多くの作品を書かれました。
林芙美子先生にも御愛顧頂きました。
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