箱根塔ノ沢温泉 福住楼 (エピソード -> 数奇屋建築)

トップページ

 建築家 安井 清氏の語る「福住楼の建物」


 平安時代には、御別業(おなりやかた)という、「役務が終わって寛ぐ館」を建てた記録があり、それは黒木(丸太のまま)の室でした。

 

 その後、桃山期になり、茶道の発達に従って、茶匠による茶室が作られました。

 選び抜かれた丸太やそれぞれの材料の醸し出す美意識の凝縮、室に入る光線の具合などを巧に組み合わせて、その空間をより心の安らぐ場所として、また、茶点の所作も手順にも全く無駄のない様な造りとして、「おもてなしの心」を伝える事で、日本人ならではの「茶の心」を創り出したのです。

 

 徳川時代の初期、今の桂離宮は八條宮様の御別業として数奇屋建築の最高の作品として広く海外に紹介されました。この建物の材料、デザイン、手法等が、別荘建築の手本として作られているからです。

 

 明治-大正-昭和期に京都では明治天皇の大葬、大正天皇の御即位(大正4年)、昭和天皇の御即位の式典と大きな行事があり、この時の世界各国の賓客の宿舎として南禅寺周辺、嵯峨周辺には実業者達が別荘建築が競って建てました。

 これらの建築が「京普請」の名を国内外に示したのです。

 

 そしてその数奇屋普請が関東に及び、益田孝(純翁・1848-1939)の関東の大師会、関西の光悦会といった茶室建築と別荘建築の隆盛がありました。

 

 この福住楼の建物は、数奇屋建築の手法を取り入れて、安心感のある客室を造っています。

 

 この建築は、京都の「角屋」や嵯峨の宝厳院から学び取って、それらの材料、職方を呼び寄せ作ったものです。 

 多くの珍しい煤竹、貴重な丹波班竹の四角竹、黒竹、破竹、真竹等が、手間を惜しまず格天井の竿に組み合わされています。

 また、亀甲竹の皺竹、雲紋竹などの銘竹ばかりを使った日本でも珍しい建物です。

 数奇屋建築で竹を使うことは大変な手間がかかり、材料を選ぶための約束もあり、実質的には最高の価格となります。

 見た目は「やさしい」竹の美しい組合せも、その陰の手間は恐ろしい程です。その手本は桂離宮の表門にもあります。

 この福住楼に使われているいろいろな竹の建築は、当時の工匠が金銭を問わず仕上げた日本独特の工法で、また美意識の凝縮であり、そこに安心感のある憩いの空間が生じるのです。

 

 そのほか、この建物には、当時誠に高価な神代杉を巧に使い、京都より選び抜いた北山杉の天然の絞り丸太、小丸太、本当丸太等を使っており、京数奇屋の真髄を極めています。

 

 建物の手洗所、便所の位置が遠く離れていますがここは、創建当時の儘に残された貴重な文化遺産です。

 この手洗所、便所は、数奇屋工法で、材料も多様でまた天井も高く、見て飽きない程丁寧な手間を掛けた作品です。

 土間には「槐(えんじゅ」」)」の切り株を飛石に見立てて足触りの良い、心憎い配慮がなされています。

 

 庭の作りも、関東の根府川石を使い、関東ならではの滝組や石組の面白さを表現されています。

 また、廊下手摺の五福を表す蝙蝠の意匠と共に大正初期の見事な職人芸を見る事が出来ます。

 

  福住楼は「竹の持つ美しさ」の最高の数奇屋建築として後世に残ることでしょう。

 

上の扇は秋を表し、

下は冬を表します。

「秋の扇」に使われている竹は大変珍しい中国産のものです。

安井 清

大正14年12月6日生まれ。株式会社やすいきよし事務所代表。

伝統建築の第一人者で、国立茶室「如庵」移築、桂離宮の昭和大修理、メトロポリタン美術館内の日本ギャラリーの建築、ボストンの京町家築造などに携わる。

(経歴は 社団法人 京都府建築士会発行 「京都だより」2006/07より抜粋)


 

250-0315                                    

神奈川県足柄下郡箱根町塔ノ沢74

TEL 0460-85-5301 / FAX 0460-85-5911

福住楼