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塔之沢温泉の歴史
塔ノ沢温泉は箱根湯本温泉のすぐ近くにありますが、明るくひらけた湯本温泉とは対照的に、塔ノ峰と揚坂山との間の渓谷を流れる早川のほとりに、落ち着いた山の湯を思わせる雰囲気を持っています。
江戸時代の慶長九年(1604年)、この箱根塔之沢に来て塔ノ峰山中の岩屋で修行していた弾誓上人がこの温泉を発見し、病人の療養に使ったと伝えられています。
また、長興山紹太寺(ちょうこうさんしょうたいじ)の雲谷和尚が早川の流れの中に湧いている温泉を発見したという話も伝わっています。
江戸時代には箱根湯本、宮ノ下などと合わせて「箱根七湯」と呼ばれるようになりました。
この時代の箱根のガイドブック「七湯の枝折(しおり)」には塔ノ沢の温泉について「温湯にして気味かろし(軽い)」と記されています。
万治二年(1659年)に明の国から亡命し、日本に帰化した朱舜水(しゅ・しゅんすい)はここを訪れたとき、明国一の温泉とうたわれていた驪山(りざん)よりもすぐれていると称賛し「勝驪山」の名をこの塔之沢に付けたという事です。
明治十年には、将軍徳川家茂に降嫁した皇女和宮が転地療養中に塔ノ沢で亡くなりました。皇女和宮が生前持仏としていた黒阿弥陀は現在も塔ノ沢の近く、あじさい寺の名で知られる阿弥陀寺に安置されています。
阿弥陀寺
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